ファンパワー実行委員会

オフコース in 日本武道館|1982年6月30日そして今

ブログ

 

新着(オフコースファンのページ)11/8更新!
「Off Course in日本武道館201?.6.30」
参加の表明について

新着(オフコースファンのページ)
イベント概要
下部にカレンダー

新着(オフコースファンのページ)スタッフのつぶやき
6.30 in Budokan 今昔物語?

新着(オフコースファンのページ)僕等の時代
「横浜の空」

新着(オフコースファンのページ)OffCourse詞集
「冬が来る前に」

新着(オフコースファンのページ)FanMeeting
「今晩のミニミニファンミ」

新着(オフコースファンのページ)FanMeeting
「オフコースファンミーティングin…」


ブログカテゴリ一覧

 

協力


ユニバーサルミュージック(旧・東芝EMI)はオフコースin武道館の協力会社です

 

 

 

ファンパワー実行委員会

e-mail.
press@offcoursepower.net

 

 

お問い合わせ

 

HOME»  ブログ記事一覧

ブログ記事一覧

  • 件 (全件)
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5

1982年6月30日 武道館への道【21】


1978年4月。
「小さな部屋」シリーズの最後となった渋谷公会堂でのコンサートの後のパーティーで、小田さんは次のように語っています。

「反省として、今日は2部では舞台でのたうちまわるくらいにやりたかったができなかった。
地方では、わりとのたうちまわれるのだが、東京では従来のオフ・コースのイメージ-お上品-というイメージが強くて---それは僕たちの責任でもあるのだけれど、いざとなるとなかなかできない。
今後は既成のオフ・コースのイメージを一度メチャクチャにこわして、やっていく事が課題だと思う。夏にひょっとしたら、またコンサートが(東京で)できるかもしれないし、それが中止になっても、秋には必ずやるので、それまでに、がんばってみたい」


既成のオフコースのイメージを壊したい、という想い。
そして、新しい道へと踏みだそうとする決意ともいえるスピーチでした。

「オフコース大賞」という試みを「小さな部屋Vol.8」と地方での「春のコンサート・ツアー」で投げかけたオフコース。
奇しくも1978年という年は、「日本アカデミー賞」がスタートした年でもありました。
24時間テレビ「愛は地球を救う」がスタートしてのもこの年。
既成の枠組みに囚われず、新しい価値感で新しいモノを作り出そうという気概あふれる時代だったのかもしれません。


ところで、オフコースは、4月5日の渋谷公会堂の後、およそ1ヵ月の間に名古屋、長崎、久留米、福岡、小倉、三島、八王子、横浜、桐生、札幌、函館、旭川でコンサートを行っています。
東京でのコンサートはいつも満席でしたが、地方はまだ小さな会場でのコンサートも少なくありませんでした。
しかし、熱心なファンが友人を誘ったりして地方の会場も次第にお客さんが増えていきました。
そんなツアーの合間を縫って5月6日から新しいアルバムのレコーディングに入っています。
それが、『FAIRWAY』(フェアウェイ)というアルバムで、レコーディングは8月8日までかけて断続的に行われました。

収録曲は以下の通りです。

●SIDE A
1.あなたのすべて 
(小田和正  作詞・作曲)
2.美しい思い出に (鈴木康博  作詞・作曲)
3.いつもふたり (小田和正  作詞・作曲)
4.夢 (鈴木康博  作詞・作曲)
5.この空にはばたく前に (鈴木康博  作詞・作曲)

●SIDE B
1.夏の終り 
(小田和正  作詞・作曲)
2.季節は流れて (鈴木康博  作詞・作曲)
3.失恋のすすめ (鈴木康博  作詞・作曲)
4.去っていった友へ -T氏に捧げる- (小田和正  作詞・作曲)
5.心さみしい人よ~いつもいつも (小田和正  作詞・作曲)


小田さんの曲と鈴木さんの曲が5曲ずつ収録され、オフコースの二人が「奇妙なほどの平等主義」と形容されていた時代の作品だったことがわかります。
両者の作品は、いずれも秀逸で、どの曲を取っても完成度の高いものに仕上がっています。
当時は、歌詞の中に具体的な情景やキャラクター設定をすることが求められはじめていたので、それぞれ具体的なフレーズが多用されています。
今改めてこのアルバムを聴いてみると、そこに描かれた人物像はけっこう面白く感じられます。
特に、鈴木さんが描く男性の姿は、のちに槇原敬之氏が描く気弱でモテない男性像に近いものがあるように思いますが、皆さんはどのように感じられるでしょう?

また、小田さんの名曲「夏の終り」も収録されています。
のちに小田さんはこう語っています。
「そういえば『フェアウェイ』の中の「夏の終り」って曲は、おふくろが好きだっていってたな。
ちょっと小学校唱歌に近いような、そんな響きがあるんだ、あの曲には。
だから気に入ってくれたのかな。」


歌詞の中に登場する「♪あきらめないで 歌うことだけは 誰にでも 朝は訪れるから」と語る女性は、もしかしたら小田さんのお母様の言葉だったのかもしれないと、今でも思っています。

このアルバムは10月5日に発売されましたが、レコーディングのさなかであった7月8日に横浜県民小ホールにおいてメンバーの集まる最後の「ファミリーコンサート」が開催されています。

参考までにそのプログラムを紹介しておきましょう。

《Off Course Family Coucert 4th》 (1978.7.8 神奈川県民会館小ホール)
第Ⅰ部
1.オフコース in スクリーン
 *スライドとテープによるオフコース'73~'78

2.アマチュアグループによるステージ
 ・Kei
 ・Holiday-Association
 ・石井恵
 ・Suggerless
 
第Ⅱ部 オフコースのステージ
1. 2人で
2. 3人の仲間たちと


このファミリーコンサートにあたり、オフコースの二人は次のように述べています。(オフコースファミリー号外より)

あまりかたくならない様にリラックスしてやりたいけど、ステージはステージだからちゃんとやりたい。
だから、あたたかい感じでも少し突き放した感じになるかもしれない。
昔からの人って割にFolkっぽいものを好んでた様だけど、最近は意識してハードな曲、出してるから、その辺の変貌ぶりもわかってもらえたらと思う。
ファミリーコンサートってのは、それ自体アンコールみたいな気がする。
会員しか入れないし、地方の人はなかなか来れないし、だからその辺を理解して来て欲しい。
最後に、かたくなにFolkだけをきかないように。
(鈴木さんから)

ファンクラブの集いみたいのは、小さいってことはやっぱり大事だと思うけど、いちばん残念なのは、来れない人が大分いるってことで、そういう人のためにもテープを作るとかしてきかせてあげられればと思う。
この前の時からバックも一緒に居た集いだったと思うけど、今回は、あの3人のわりとパーソナルな部分なんか出たらおもしろいと思うし、それに昔の歌も久し振りにうたうから、練習もするし・・・。
まあ、楽しくやりたいと思います。
(小田さんから)


二人ともかつてのオフコースとは違ってきていることや一部のファンだけが集まることへの疑問を投げかけています。
鈴木さんは、「かたくなにFolkだけをきかないように」と訴え、
小田さんは、まだ正式メンバーではないけれど、3人の個性を活かしたステージにしたいと伝えています。
これは、「オフコースは二人」というイメージからの脱皮を図ろうとしているメッセージといえるかもしれません。

いずれにしても、この集いが、オフコースファミリー主催の最後のコンサートとなりました。


そして、また秋が訪れ、東京で5回目の『秋ゆく街で』が行われることになります。
場所は恒例となった中野サンプラザホール。
第4回目は昼・夜2公演という形で実施されましたが、今回はなんと3日間連続公演となり、連日満席で大盛況となりました。
もう中野サンプラザもオフコースにとっては手狭なホールとなったのです。
この時のセットリストを見てみましょう。


《第8回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でⅤ”》 (1978.10.25~27 中野サンプラザホール)




01 やさしさにさようなら
02 思い出を盗んで
03 美しい思い出に
04 水曜日の午後
05 通りすぎた夜
06 里の秋
07 もみじ
MC (メンバー紹介)
08 こころは気紛れ
09 季節は流れて
10 夏の終り
11 この空にはばたく前に
12 あなたのすべて
13 Run Away
14 愛の唄
15 この海に誓って
16 喜びのメドレー
17 眠れぬ夜
18 のがすなチャンスを
19 去っていった友へ -T氏に捧げる-
20 心さみしい人よ
21 Run Away

【アンコール】
22 さわやかな朝を迎えるために
23 いつもいつも

【アンコール2】
24 眠れぬ夜



このコンサートのメインとなったのは、「喜びのメドレー」と題したオフコースの代表作メドレーでした。
曲の構成を見てみると以下のようになります。

▶別れの情景Ⅰ~ めぐる季節~ 恋はさりげなく~ ロンド~ 眠れぬ夜~ 秋の気配~潮の香り~ ワインの匂い~ 幻想~ 別れの情景Ⅰ

これまでのオフコースの代表的な9曲がひとつにまとまり、冒頭とラストを「別れの情景Ⅰ」で挟む形としています。


♪少し離れたほうがいいみたい こんなに疲れるなんて

♪季節はめぐり 色あせた日々よ 季節はめぐり 色あせた日々よ



オフコースがこれまでのオフコースに訣別するかのように「季節はめぐり 色あせた日々よ」とリフレインを続けます。
ファンも新しいファンが古くからのファンの数を上回り、コンサートの雰囲気もずいぶん変わりました。

オフコース・ファミリーがこの「秋ゆく街で」ツアーが終了した後に発行した号外に、中野サンプラザを見たファンの声が掲載されています。参考までに一部抜粋して紹介しましょう。

▶久し振りにオフコースのコンサートに行った。また、一つ自分の世界が広がっていきました。時おり見せたか細さも今はない。
 3人はもう完全にオフコースを構成しているメンバーだし、そこに鈴木さんの渋さと小田さんの利発さもますますさえわたり、精いっぱいのコンサートをしてくれました。
オフコースは、オフコースのままここまで来たし、ちっとも変わってなんかいない。これからもオフコ-巣はオフコースであり続けるであろう。そんな予感を感じました。

▶楽しい、本当にすばらしいコンサートでした。が、不満な点もあるのです。みなさんがいい気持ちでいる時に水をさすようなことは言いたくないのですが・・・。
 コンサートのことを思い出してみると、なぜかテンポの速い曲しか思い出せないのです。そして、よく考えてみると、しっとりと落ち着いて聞かせる曲が本当に少なかったように思うのです。
 しかし、こんな自分本位な考えて、オフコースの可能性を一ヵ所に止めてしまうことはできません。
 ただ、オフコースにはふつうのロックバンドにはなってほしくないのです。
 私はありふれたことばだけど自分の世界を書きあらわしている小田さんの詩が大好きです。いつまでも、それだけは変えないでいて欲しいのです。

▶あのコンサートに行った人で、あのコンサートを聞きながら、昔のがいいとか、あの音楽性は・・・とか思った人いるんでしょうか?
 フォークとかロックとかジャズとかそんなジャンルも関係ないんです。オフコースはそんな音楽のジャンルを越えたもっと大きなものを目指している・・・と思うんです。

▶かつて僕が行ったあらゆるコンサートの中で一番素晴らしいコンサートでした。
 特に僕はコンサートではどんなにのっても手拍子なんて絶対にしない人間だったのです。が、ラストのランナウェイでは少しずつ手が動き、しまいにはもう一生懸命曲に合わせて手拍子し、そんな自分を見てて、とても楽しい気分になりました。

▶一番強く感じたのは、今年の「秋ゆく街で」はリサイタルではなくてコンサートだったのでは? ということです。
 楽しかったことは楽しかった。ただ、'感動させたい''感動をわかち合いたい'とか、'ステージ中心'とか言っているのにこのリサイタルは・・・? と、首をかしげてしまいます。言っていることとやっていることが違うのでは?
 Hardになるなとは言いません。ただ、適当にやらないで下さい。

▶何となくイヤな気分になったのです。
 それは、喜びのメドレーとか題して5人の写真がスクリーンに映し出されたこと。初めの何枚かは気持ちよく観てましたが、そのうちしつこいぐらいに感じました。あまりに5人のイメージを押しつけるかのように見えたのです。

▶4年くらい前のオフコースは演奏する(きかせる)ことが精いっぱいで、顔をひきつらせながらやってたけど、もう客とのステージの自信がついて余裕さえ感じた。今後がた・の・し・み!



例によって感想は様々ですが、賞賛の言葉も不満の言葉も、「オフコース愛」に満ちあふれていますよね。
いろいろな想いでオフコースを支え、応援しつづけてきた愛すべき仲間の皆さん。
今もオフコースを時々なつかしく聴いておられるのでしょうか?

このツアーは翌年1月31日の岡崎市民会館(愛知県)まで続きましたが、後半はジローさんが盲腸炎のためお休みとなり、元バッドボーイズの城間正博氏が活躍してくれました。
こうして1978年も瞬くうちに過ぎ去っていったのでした。
 

★☆★ 秋ゆく街でⅤ 第1部 ★☆★

 

★☆★ 秋ゆく街でⅤ 第2部 ★☆★

 

※サウンドクリエイターのK氏が作成してくださいました

2017-06-21 01:20:33

コメント(0)

2017年6月30日を目前にして・・・

今年もまた6月30日が近づいてきました。
1982年の6月。
全国28か所69回公演、観客動員数約25万人というオフコース最大のツアーのしめくくりは武道館での10日間コンサートでした。

15日から30日までの間に行われた武道館。
あなたはその時どこにいて、何をしていましたか?
武道館で5人のオフコースの姿を目撃した人もいれば、遠く離れた場所で応援していた人、あるいはまだオフコースを知らなかったり生まれていなかった人もおられることでしょう。

あれから35年。
ティーンエイジャーだった青少年の方たちも50歳を超えたり超えなかったり・・・。
小田さん、鈴木さんは70歳を迎えようとされています。
当時は若いと思っていた仁さん、松尾さん、大間さんたちですら今では皆60歳を超えられました。


かつてファンだった人たちも長い時を経て、それぞれが当時思ってもみなかった未来を今、生きていることでしょう。
35年というちょっとした節目の年にあたるので、みんなで武道館に集まって「大同窓会」を開きたい・・・
そんな素朴な想いからはじまったファンパワー実行委員会の活動でした。

でも、35年という時の隔たりや個々のオフコースへの想いをひとつに集めて武道館を押さえ、そこで大いに語り合おうという企画は決して簡単なことではありませんでした。
昨年解散したSMAPについて語り合おう、と呼びかければ、数万人の参加表明があっという間に集まったことでしょう。
しかし、メンバーがそこに集まるわけでもない同窓会に賛同してくれる人の数は、武道館を押さえるまでには至りませんでした。
でも、35年という年だけが「節目」なわけではなく、来年も再来年も「節目」であると考えて、今後も賛同者を募っていく予定です。

今年は、オフコースの原点ともいえる、横浜桜木町駅に近い「横浜市教育会館」で賛同者が集まりフィルムコンサートという形で当時のことを思い出し、語り合う時間を持ちたいと思っています。
すでに参加表明をしてくださった皆さん、ありがとうございます。

♪今なら まだ間に合う 今ならまだ間に合う・・・

そんな言葉とメロディーが聞こえてきませんか?
心が動いた方は、トップページからお申し込みください。
今ならまだ間に合います。たぶん・・・w


ところで、ファンパワーだけでなく、今年の6月30日にオフコース関係のイベントを行う方やバンド、団体がおられることと思います。
ファンパワーでは、そういう皆さんの情報も紹介していきたいと思いますので、何か情報があれば、下のコメント欄にできるだけ詳しくご記入ください。
紹介したいと思っています。

また、当然のことながら、全国どこのイベントであってもかまいませんのでよかったら投稿してください。

2017-06-20 15:48:54

コメント(0)

1982年6月30日 武道館への道【20】

1977年に続いて78年もオフコースは意欲的に活動を展開していきます。

まず、77年10月9日に群馬会館からスタートした「秋のコンサート・ツアー」が78年2月27日の平文化センター(現・いわき市文化センター)まで続けられました。この時、全国39ヵ所でコンサートを行いました。
そして、このツアーが終了すると、レコーディングやCM録りを行い、3月10日からは「春のコンサート・ツアー」をスタートさせています。
このツアーは浜松市民会館を皮切りに全国41ヵ所で行われ、7月24日の松江県民会館まで続きます。

そんな超多忙なスケジュールの中で、レコーディングも行われ、4月5日にはシングル「やさしさにさようなら/ 通りすぎた夜」をリリースし、5月5日にはベスト・アルバム『SELECTION 1973-78』を出しています。
また、7月には神奈川県民会館小ホールで“オフコース・ファミリー・コンサート”を開催し、さらにシングル「あなたのすべて/ 海を見つめて」を発表しています。

これまで経験したことがないほどの忙しさではあったもののファンの拡大とコンサートでの手応えはオフコースをさらに成長させていきました。
「楽しい中に、悲しい歌、考えさせられる歌はあり得るが、必死なところから楽しさは生まれない」
というオフコースのステージ哲学もこのころ生まれた考え方だったといいます。

さて、今回は「春のコンサート・ツアー」のさなかの4月5日に行われた“オフコースの小さな部屋 Vol.8”のセットリストを紹介したいと思います。


《オフコースの小さな部屋 Vol.8》 (1978.4.5 渋谷公会堂)
テーマ:'78年度オフコース大賞

【第1部】
 01 オープニング
 02 小さな部屋
 03 眠れぬ夜
 04 ロンド

ゲスト 朝妻一郎 
 ~グラミー賞とレコード大賞の違いについて~

 05 グラミー賞メドレー
 06 あなたは誰

ゲスト 財津和夫 
 ~青春の影~トーク~

 07 Hotel California
 08 勝手にしやがれ
 09 I'll Be Coming Home

【第2部】
 10 のがすなチャンスを
 11 思い出を盗んで
 12 ピロートーク
 13 秋の気配
 14 通りすぎた夜
 15 Stanchen
 16 地球は狭くなりました
 17 Run Away~こころは気紛れ
 18 やさしさにさようなら
 19 青春
 20 青空と人生と
 21 HERO

【アンコール】
 22 のがすなチャンスを
 23 愛の唄



まずは会場が2000人規模の渋谷公会堂(2015年閉館)で行われることになり、1000人規模だった日本青年館九段会館の倍の定員となりました。
それでも当日は超満員で、広い会場が手狭に感じるぐらいオフコースの人気は高まってきていました

テーマソングとしてほぼ毎回歌われてきた「小さな部屋」の歌詞に

♪はじまりますよ 小さな部屋が 
 大きくなるよ すぐに


とある通り、物理的にも「小さな部屋」は「大きな部屋」へと変貌していました。


コンサートは二部構成で、前半は「オフコース大賞」という企画でした。

まず、アメリカのグラミー賞と日本のレコード大賞の違いについてゲストの朝妻一郎氏にお話いただき、観客と認識を共有した上で、「グラミー賞メドレー」を披露しました。
誰もが耳にしたことのある名曲揃いのすてきなメドレー。

続いて、「いつかグラミー賞を獲る!」という意気込みの松尾さんの曲に小田さんが詞をつけ、岩崎宏美のために作ったという「あなたは誰」を演奏し、大爆笑を誘います。
しかし、なかなかの名曲で、この曲はのちに稲垣潤一のデビューアルバムに収録されることになります。

二人目のゲストの財津和夫氏とのトークのあと、'77年度グラミー賞の“Record of the year”に輝いたイーグルスの「Hotel California」、そして鈴木さんがレコード大賞を取った沢田研二の「勝手にしやがれ」を熱演しました。
あまりにウケてアンコールの拍手が起こり、それに応えるサービスぶり…(笑)

そして、78年度のオフコース大賞として発表されたのは、「愛の唄」の英語版「I'll Be Coming Home」でした。


このように第1部は、日本にももっと質の高い音楽賞ができるように、作品を創る側や若い人たちが文化レベルを上げていく必要がある、というテーマでステージを展開しました。

この企画は、「小さな部屋」だけで終わらず、春のコンサートツアーで各地でも紹介されました。
オフコースの音楽性の高さ、志の高さを多くのファンに感じさせるメッセージがそこにはありました。
日本の音楽界の文化レベルが低い、とか、自分たちが文化の担い手となって時代を変えていかなくては、という想いは、のちに小田さんが制作した映画『緑の街』にも登場してくるメッセージでした。

第2部は、最近のオフコースの楽曲を中心とする選曲でしたが、中には1stアルバムの「地球は狭くなりました」もあり、古くからのファンにも新しいファンにも満足できる構成となっていました。
また、コンサートと同じ日に発売された「やさしさにさようなら」も演奏しています。

このようにバラエティに富んだ、「楽しめるコンサート」になりました。
かつて二人でステージに立っていた頃のオフコースは、ミスをしないように楽曲の完成度を求めるあまり、ステージ構成やMCには力を注いでいなかった感が否めませんでしたが、5人になってバンドサウンドに変質し、まず楽しめること、を重視していくようになりました。
そうなったことでファンも増え、自分たちのやりたいこともどんどん増えていくように感じられた時期だったと思われます。

このコンサートのあと、オフコース・ファミリーが8月1日付で発行した「号外」には、次のような感想が掲載されていました。(一部抜粋)

■かなり生意気ですが、最近とみに思うんです。小田さん歌がうまくなったなーって。以前は本当のこと言って、小田さんの歌きいていると声がかすれはしないか高音部は大丈夫か…なんて少々心配でした。でも最近は安心して聞いていられます。あのなごやかなステージ運びからもそんな安心感が生まれるのでしょうね。

■今回の「小さな部屋」は、渋谷公会堂のあのだだっ広さをまったくと言って良い程感じさせませんでした。とてもステージと客席の差を感じなかったのです。

■一緒に行った友達は『あそこまでやってほしくなかった』--『音が少し大きすぎる』--『もっといつものコンサートのように穏やかムードでやってほしかった』という意見でした。

■最近のオフコースは本当に跳んでる感じ。演奏にしてもなんにしても人気がでてきたということですが、歌謡曲のようなアイドル的存在になるのではなく常にその音楽性に価値のあるオフコースでいてほしいと思う。

■久し振りの小さな部屋、とてもあったかーい部屋で、私も久し振りに心をあたたかくして幸せになって帰宅しました。実はもうファンの皆さん、だんだん若い方ばかりで半白髪の私は、気はずかしくて会場の前で待つ間、どこかかくれる場所はないかと探すもので、娘に笑われるのです。(中略)二人の頃は二人の間にあるもの、五人になったら五人の間を流れている暖かいものが、音だけでつながっているのではなくて、その流れているものが感じられて、その事が嬉しく、幸せな気分になってしまいます。それぞれに皆さん、どんどん大きくなっていらして、いろいろな事の一つ欠ける事なく本当に嬉しいと思いました。



二人時代のオフコースのコンサートにこだわる人もいれば、変わっていく彼らの姿を頼もしく見守る人もいました。
感想を寄せられた皆さんは今、どこでどうされているでしょう?
今もオフコース出身の五人が全員現役で演奏活動をしていることをどう思っておられるでしょう?
機会があれば、ぜひお話を聞いてみたいものです。



オフコースが渋谷公会堂にも収まらないぐらいビッグな存在になるのに、それからあまり時間はかかりませんでした。
オフコースの「小さな部屋」は、この第8回目をもって終了しました。
しかし、ここで行われた様々な実験的手法は、のちのオフコースやメンバーのソロ活動でも活かされていくことになります。
8回とも貴重な取り組みだったと言えるのではないでしょうか。


(りん)
 
 

★今回もmcさんがダイジェスト版を作ってくださいました★

◆「小さな部屋 Vol.8」第1部





◆「小さな部屋 Vol.8」第2部

 

2017-05-05 11:43:28

コメント(0)

1982年6月30日 武道館への道【19】

1976年11月5日に発表されたアルバム『SONG IS LOVE』に続き、翌77年9月5日にはアルバム『JUNKTION』が発表されました。
そして、すっかり恒例となった『秋ゆく街で』が10月23日に行われます。

3年前に「中野のサンプラザあたりでリサイタルを…」と小田さんが話した時、会場からは小さな笑い声が起こっていました。
「そんな大きな会場にお客さんが集まるの?」という半信半疑な気持ちからの笑いだったと思うのですが、3年間でオフコースを取り巻く環境は次第に変化し、この年は、中野サンプラザで昼の部と夜の部の2回公演を行うほどになっていました。
また、春のコンサートツアーに続いて10月9日から「秋のコンサート・ツアー」を始めていて、その中での『秋ゆく街で』
中野サンプラザの後も大阪、名古屋など全国39ヵ所で公演を行っています(このツアーは、もはや「秋」のかけらもない翌年2月27日まで行われました)。
さて、コンサートは横浜根岸の競馬場跡で撮影したメンバーのフィルムとジャンクションのテーマ(アルバム等未収録)でスタートしました。

  Song is Love
    Song is Love
  あなたをうたう

  Song is Love
    Song is Love
  あなたを愛をうたう



では、早速セットリストを見てみましょう。


《第7回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でIV”》 (1977.10.23 昼夜2回公演 中野サンプラザホール)

   

 01 JUNKTIONのテーマ
 02 INVITATION
 03 MC-1 (挨拶)
 04 めぐる季節
 05 眠れぬ夜
 06 MC-2 (曲作り)
 07 雨よ激しく
 08 愛のきざし
 09 MC-3 (友人の結婚式)
 10 水曜日の午後
 11 MC-4 (今日のユニフォーム)
 12 思い出を盗んで
 13 変わってゆく女
 14 MC-5 (テレビ主題歌)
 15 ロンド
 16 MC-6 (美容院でのこと)
 17 もう歌は作れない
 18 MC-7 (作詞の苦労話)
 19 でももう花はいらない
 20 MC-8 (ギターのチューニング)
 21 500 miles
 22 メンバー紹介(清水 仁~大間ジロー~松尾一彦)
 23 Run Away
 24 MC-9 (ラジオ生番組にゲスト出演)
 25 秋の気配
 26 潮の香り
 27 MC-10 (JUNKTIONの意味)
 28 MC-11 (カーペンターズ)
 29 愛の唄
 30 老人のつぶやき
 31 MC-12 (将来への展望)
 32 青春
 33 無題(「空が高すぎる」原曲)~HERO

【アンコール】
 01 Day By Day
 02 のがすなチャンスを
 03 歌を捧げて

【アンコール2】
 無題(小田新曲)



2回目のアンコールで歌われた小田さんの新曲は、小田さんがピアノ、鈴木さんがエレピという珍しい組み合わせで演奏されました(二人だけ)。

  この歌はあなたが 眠りにつく前に
  歌ってあげる いつもやさしくないから
   せめて ひとひの終わりは
   あなただけのために歌う
   明日がくる すてきなことだと思う

   あなただけのために歌う
   すてきなことだと思う



オフコースファミリーが発行した「秋ゆく街で 号外」には、リサイタルの感想が掲載されています。
ステージを見たファンは、どんな感想を抱いたのか、抜粋しておきたいと思います。

Good!
・今年はメンバー全員が本当に楽しそうで、この時が1番最高!ていう感じが客席まで伝わってきました。
・“HERO”のラストのくり返しがすごく印象的でした。
・“もみじ” 大間さんの後に4人がならび 5人みんながとっても楽しそうに歌っていて、ほんとにいい雰囲気でした。
・何より驚いたことは小田さんの声よく出てた。一日に2回のコンサートじゃ当然声なんてかすれちゃうと思っていたから・・・。やっぱりプロなんだなぁ。
・“Junktion”に欠けていたほんの少しのオフコースらしさがステージではちょっとした話、何気ないチューニングの音、他のLPの曲などで補われていて「ああまだ私はオフコースについていける」なんて思ったのです。
・フィルム-ほんの小さな山の中を流れる川がだんだん大きくなり平野を流れる河へ、そして海へとゆく様子はオフコースの姿をありありとあらわしているようでした。
・“HERO”とそのフィルムのイメージの雰囲気が合っていて曲にふくらみがでてきたというか、ただ曲をきくということだけでなく、その曲の受けとり方を幅広くする効果があったように思います。
・2人だけのコーナーがやっぱりやっぱりよかったぁー!! すごく新鮮だった。

No Good!
・あれ程すみやかにきちんとやられると少し気味悪い位で、客席の雰囲気としては何かもうひとつ盛りあがりに欠けていた様な気がします。
・このリサイタルといつものコンサートをくらべると、ステキであればあるだけにステージとの距離がひらいてしまう感じが少し淋しかった。カッコ良くキマってる事と虚像になってしまう事は正比例の相関関係にあるのだと思いました。
・昼の方はあまりにもまちがいが目立ちすぎたのではありませんか? やっぱり慣れた2回目の方がのっていましたね。
・内容があまりに盛りだくさんのため かえって焦点がぼけてしまった様な気がします。
・小田さんのしゃべり方ってどうして生き生きしていないのかしら・・・
・間に休憩があった方がよかったみたい。
・アンコールはちょっと構成しすぎで、あんなにりっぱにやられると一度幕がおりても「ひょっとしてまだ曲を用意しているのでは」と考えてしまいます。昔の様にアンコールはもっと楽しんでやったほうがいい。私はあのやり方にちょっとついて行けないです。
・ひと言でいって、去年の方が良かったってカンジ。今年のは終わった後の感動がちょっとうすかった。


まさに賛否両論、さまざまな意見がありました。
こういう感想から、当時のオフコースファンの気持ちがよく分かることと思います。
オフコースの手づくり感、アマチュアっぽさ、不器用な感じに親近感を抱いていた古くからのファンは、また一歩遠ざかっていく気配を感じたステージだったようです(実際、私も会場にいましたが…)。

オフコースの知名度が上がってほしい。広い会場をいっぱいにしてほしい。ビッグな存在になってほしい。
そんなファンの想いが微妙に揺れ始めた時期でした。
オフコース自身が“HERO”で歌ったことは、まさに自分たちが実像を離れて虚像化していくことへの不安を表したものといえるでしょう。
「人気が出る」ということは、「私だけのオフコース」から「みんなのオフコース」へと変質していくことを意味しています。
増加したファンは、オフコースというバンドの魅力に惹かれた人たちが多く、かつての「二人のオフコース」しか認めない、というファンの数をはるかに上回っていく構図となりました。

ところで、当のオフコースは『秋ゆく街で』のツアーを終えて、こんな感想を寄せています。(オフコースファミリー号外より)

ヒトシ,
来年は今年より大きくなれそうなのが実感としてつかめた。ステージのやりかたとかが毎回慣れていって、こうしたらいいとか、ああしたらいいとかがつかめた。

マツオ,
たいした意見てないけど、そーですねぇ 感想って程大袈裟なものないけど、いつもより緊張した。あと、やっぱりふつうのコンサートツアーとしてみればやっぱりやり方なんかかわってきて、これからああしたい、こうしたいってのいっぱい出てきたし、そういうこととか やっぱ客が増えてきたのが実感!!

ジロー,
自分としては、又、何かひとつつかめて、来年に飛躍できそうな気がした。ひとつつかめてきた。で、バンドとしては、もうひとつ精進して、5人の音楽をもっと広げたい。ずっとまわってきて、手ごたえがあった、確かに。来年はもっとすごくなるだろう。(笑)

オダ,
うーん、それぞれの場所で、あのオ、気持ちは一緒だったんだけど、それぞれちがったんだよね、やっぱり。で、最初の方はまだ慣れてないから、大阪とか北海道とか名古屋のあたり、残念な面あったけど、だんだんリラックスして出来るようになったし、来年はそういうことも考えて。。。 でも全体的には まぁ 満足できたし楽しかった。楽しくってことは意識してたから、すごく今回うまくいったんだよね。来年にむかって違う…っていうか、もっと大きな広がりができるようにね。もっと別な形で大きくなれるように頑張れそうな気がしてます。

スズキ,
東京のは、今までの中で一番出来が良かったと思う。全体的には…何ていうんだろ…形が出来上がったもので回ったから楽だった。ある面で自分たちでも楽しんでやったし。そのかわり あのオ いわゆる自分の技術的な面とかで、不満が見えてきた。プレイの不満とかステージづくりの不満とか内容がもっと手を加えられることがわかった。やっぱりまだやれそうなこと、やらなきゃいけないこと沢山ある。具体的にはつかめないけどね。これからは新しい曲とか要素を加えて出来そうだから…。たのしみにしていて下さい。


と、5人ともそれぞれこのコンサートツアーで「手応え」を感じたことを述べています。
また、ジローさんが「5人の音楽をもっと広げたい」と語っていますが、オフコースは5人の集合体であるという意識がすでにこのツアーを通して根づいてきていたことがわかります。

清水さん、松尾さん、大間さんが、正式にバンドメンバーとなったのはそれから2年後の1979年8月1日のこと。
しかし、そういう契約上のこととは別にオフコースは1977年には5人のバンドとして活動しはじめていたことがわかります。
ステージで歌以外の部分はオフコースの二人が苦手とする部分でしたが、若い三人がオモテに出ることでステージ全体が盛り上がり、楽しいものになっていきました。
そして、「もっといいものを追求しよう」という意欲に溢れていた時期でもありました。
そんなオフコースの意欲や姿勢をファンは支持し、さらなる飛躍を期待していました。
そういう時期が実は一番幸せな時なのかもしれませんね。
ふり返ってみないとそういうことは得てしてわからないものだったりしますが。。。


(りん)
 

◆当日の雰囲気が伝わるでしょうか?◆
 

2017-04-22 18:09:35

コメント(0)

1982年6月30日 武道館への道【18】

1977年初頭、オフコースのファンクラブであった「オフコースファミリー」はその存続について思い悩んでいました。
会報には次のように記されています。

(昭和)48年3月、オフコースファミリーは、ひとつの目的[オフコースのファンが集まり、いつかみんなの力で彼らのコンサートを開くこと]を持って発足しました。
そして4年たった今、オフコースは数えきれない程コンサートを開き、ファミリーの最初の目的は、すぐに達成することが出来たのです。
けれど、その時、ファミリーを解散できなかったのは、ファミリー自体に対する情感も深まり、それを通して、もっと何かをしてゆきたい、と思ったからでした。
現在、ファミリーの会員は、1600名をこえました。
そして、そんな今、考えたいことは、これから先のオフコースファミリーの在り方なのです。
コンサートを開くことが目的でなくなった時から、ファミリーの意義について考えはじめ、ただ、オフコースとそのファンを結ぶだけの存在であるということには満足できず、“オフコースファミリー”は、いわゆるFCではない。
常にそう信じ、そんな概念を与えない様な活動をしたいと望みつつも、何か割りきれないままに、ここまできてしまった様に感じるから。


そんな問題提起に対して、鈴木さん、小田さんはそれぞれ次のように書いています。

オフコースのメンバーがまだ2人になりたての、それも“僕の贈りもの”のレコードを出す前、ろくに名前も知られていない頃だったと思うが、オフコースファンクラブは設立された。
普通、ファンクラブというものは、ある程度の人数のファンが集まったところで、それじゃ皆で会を作ろうかということで始められるのだが、オフコースの場合は、そうじゃなかった。
同じ事務所に杉田二郎、かぐや姫という名の売れた人達がいて、憐れみと同情の念で、まだ売れていないみじめなオフコースを何とかしてあげようという、ちょっとシンパ的なグループであった。
だから、グループのメンバー達は、オフコースの為にファンを増やしてあげようという意気込みが相当にあって、それが存在の支えになっていた。
我々のほうも会員番号が増えてゆくことに非常な喜びと、心強さを感じていた。

でも最近になって、オフコースの名も売れてきて、会員数もだいぶ多くなり、当初の目標はほぼ達せられつつあるようだ。
当然、目標を見失う訳で、ファンの人々の代弁者であり、またオフコースの代弁者であるという非常に不安定な立場にいるオフコースシンパとして会報を作る作業だけでは何か物足りなくなってくるのである。
オフコースファミリーは、今、過渡期であり、目標を求めて模索しているようだ。

鈴木康博     



あの頃、ファンクラブだなんて、まるでSTARみたいで、すこし気恥しい思いがしたものですが、知っているひとがまとめてくれることだし、とてもちいさな会、という雰囲気だったから、よいと思って始めてもらいました。
100人になったら止めようか、ということだったけれど、誰れも入らなかったら、ミットモナイナなんて思ったものです。

僕たちにしてみても、ファンのひとたちを長く、しっかりつなぎとめておくことは、実は至難の業です・・・。
そうでなくとも時の流れはどうしても新鮮さを奪ってゆくし、ましてすこしでも手を抜いたりすればテキメンです。
でも辛いのは、手を抜いているわけではないのに、飽きられているわけではないのに、離れてゆくひとたちがどうしてもいることです。
それも“限られたCOMMUNICATION”に原因があるなら、とても哀しい。
大人数を相手にする仕事は、考える以上に難しい。
大した力もないのに、十全の満足なんて目指したりすると、却って強い反発にあったりして・・・。

こんなに大きくなったFAMILYを続けてゆくのはたいへんだと思う。
まぁ、自分の主観だけでつき進んでゆける、ぼくらのような仕事ならまだいいけれど、「私だったらこうするのに・・・」なんてきくたびに頭かかえちゃうね、僕なら。
弁解はなんの効力もないのは分っていても、つい・・・・・、ということになる。

でも、逆に考えれば、折角、こんなに集まったんだから、何かすっごくいいこと---すこしくらい強引でもいいから---みんなでできないかな、なんて思ったりもする。
OFF COURSEがハッ!とするくらい、ファンクラブの常軌を逸してもいいんじゃないか。
結果は勿論とても大切だけれど、“一生けんめいやったこと”にある程度、納得するよう、自分にいいきかせながらね。

FAMILYもOFF COURSEも、同じような問題をかかえて、兎に角、進んでゆかなくちゃいけないわけだから・・・。
   
小田和正     



いろいろ考えた末に、オフコースファミリーが出した答えは1ヵ月後に届いたお知らせに書かれていました。
「みなさんの御意見を参考に、これからの活動について考えた結果、今までの会報を季刊誌にし、もっともっと、みなさんひとりひとりが具体的に参加できる場を設け、全員でその誌を中心に、これからのファミリーを進めてゆけるようにしたいと思うのです。」


誰のためにでもなく歌いはじめたオフコース
こころひとつでそれを支えてきたオフコースファミリー
オフコースの名が知られ、レコードが売れることをずっと願ってきたはずなのに
何となく、どことなく こころが離れ始めてしまった時期だったのかもしれません。
その気持ちは関係者にしかわからないことだとは思いますが、平均年齢22才の若いスタッフたちの気持ちは人気が出始めたオフコースに少し違和感を覚えるようになったのでしょう。
そもそもボランティア活動のような位置づけだったオフコースファミリー。
時間と労力を費やさなくてももうオフコースは軌道に乗ったのではないか・・・、そんな想いが継続するか否かの論議を生んだのでしょう。

オフコースファミリーからのお知らせには、ひさしぶりに行われる『オフコースの小さな部屋Vol.7』についての情報も記されていました。
ずっと行ってきた日本青年館ホールは改修のため使えず、この時は、九段会館で行われることになりました。
日本青年館より少し広い会場で客席数は、1112席(1階614席・2階168席・3階330席)でしたが、立ち見スペースもいっぱいになりました。
(ちなみに、九段会館のホールで翌年、サザンオールスターズがデビューを飾りました。その後、2011年3月11日の東日本大震災の際、天井の一部が落下し、死亡者を出したため閉館となりました。)

この時期、もっと大きな会場でもお客さんを集めることは可能でしたが、オフコースの二人は「あくまでも“小さな部屋”にこだわりたい」として、1000人規模の会場を選んだそうです。
こうして開かれた『オフコースの小さな部屋Vol.7』
テーマは、「音楽の多様性その2 弦カル・トマトを迎えて---ひとつの音がいくつか集まると、どのような音楽において、どんなふうに音の広がりが出てくるか」というものでした。
その非常に実験的なテーマを持つコンサートのセットリストを見てみましょう。


《オフコースの小さな部屋VOL.7》 (1977.4.25 九段会館)
テーマ:音楽の多様性その2 弦カル・トマトを迎えて ひとつの音がいくつか集まると、どのような音楽において、どんなふうに音の広がりが出てくるか

     

【第1部】
01 僕の贈りもの変奏曲(リコーダー 小田・鈴木・松尾演奏)
02 小さな部屋
03 オフコースCMソング・メドレー
(グリコ・アイスクリーム~ミニバーグ~ブルボン・アルル~マイ・ピュア・レディ~エメロン・オイルリンス)
04 別れの情景Ⅰ
05 恋はさりげなく
06 Day By Day
07 Guraduation Day

※ゲスト:弦カル・トマト
08 モーツアルト ディベルティメントK136番(トマトの演奏)
09 秋ゆく街で
10 カノン
11 あなたがいれば
12 G線上のアリア(トマトの演奏)

【第2部】
13 I'll Be Coming Home(愛の唄)
14 ピロトーク
15 恋人よそのままで(原曲)
16 Chili's Song(原曲)
17 ひとりで生きてゆければ
18 ランナウェイ
19 水曜日の午後

※ゲスト:弦カル・トマト(再登場)
20 老人のつぶやき
21 でももう花はいらない

22 心は気紛れ
23 青春
24 僕の贈りもの変奏曲

【アンコール】
25 眠れぬ夜
26 のがすなチャンスを
27 歌を捧げて



「弦カル」というのは、弦のカルテット、つまり弦楽四重奏のことです。
「トマト」は、若い音楽家がつくった弦楽器の演奏家集団で、今回は、第1バイオリン・第2バイオリン・ビオラ・チェロ担当の4人がゲストとして参加してくれました。
クラシックの曲だけでなく「秋ゆく街で」「あなたがいれば」が弦楽四重奏つきで演奏され、まるでクラシックコンサートのような様相を見せました。
クラシックアレンジされたポップス曲は、現在ではごく普通に聞くことができますが、この実験的な『小さな部屋』は、その先駆ともいえる位置づけといえるでしょう。
しかもそのアレンジは、オフコース自身が行っているところがすごいところです。
小田さんは、現在もツアーに金原千恵子さんたちの弦カルに同行してもらっています。
弦楽四重奏へのこだわりがずっとあるのでしょう。

とにもかくにも、学園祭などでポップなオフコースを見てこの会場を訪れた新しいファンの人たちは、そのアカデミックな雰囲気に驚いたことでしょう。
「音楽の多様性」というようなテーマで実験的なコンサートを開いていたミュージシャンは当時オフコースぐらいしかいなかったと思います。
もちろん、いろいろな実験的取り組みはあったでしょうが、それをコンサートで表現していくというのはなかなかできることではありません。
いわば、オフコースの才能の多様性の実験室、のようなコンサートでした。
サブテーマの設定がいかにも理系の人の論文みたいで面白いですね。

第2部では、「愛の唄」の英語版を披露したり、この時期よくステージで歌っていた「ピロートーク」「恋人よそのままで」の原曲(歌詞が違います)などを演奏しています。
また、中盤でトマトが加わって「老人のつぶやき」、「でももう花はいらない」をしっとりと聴かせてくれています。
そして、最後はリコーダーによる「僕の贈りもの変奏曲」で本編をしめくくりました。

ファンの少ない時期のオフコースがこういう実験的なコンサートを行ってもさほど話題にならなかったかもしれません。
しかし、上昇傾向にある時は何をやっても好印象でとらえられ、1000人規模の「小さな部屋」でコンサートを行うことはもうできなくなりました。
8回目の「小さな部屋」は、2000人規模の渋谷公会堂で行われることになり、幕を閉じることとなります。

オフコースがメジャーになっていく過渡期に行われた実験的なコンサートのために彼らは練習に次ぐ練習を重ね、実力を蓄えていきました。
当初、バックバンドとして参加していた3人も次第にメンバーとしてなくてはならない存在となっていきました。
オフコースファミリーの会報では、バックバンドの名前を募集していた時期もあり、小田さんは、「OFF COURSE BAND」になるかもしれない、と述べていた時期もありましたが、だんだんと「5人でオフコース」と感じるようになっていったことと思われます。

さて、このコンサートが終わった翌月、新しいシングルとアルバムのレコーディングが開始されます。
そして、アルバム(『JUNKTION』)の1ヵ月前に発売された先行シングルが「秋の気配/恋人よそのままで」でした。
大ヒットには至らなかったもののファンの間では非常に人気のある歌がオフコースのレパートリーに加わり、コンサートの人気はますます過熱していくことになりました。

1977年前半は、4月8日から全国37ヵ所で「春のコンサート・ツアー」を行い、後半は、10月9日から全国39ヵ所で「秋のコンサート・ツアー」を行っています(終了は翌年2月27日)。
もはや、春とも秋ともいえない時期にもツアーを行っていたわけで、5人だからこそ同一プログラムで全国を回ることができたともいえるでしょう。
また、10月23日には恒例の『秋ゆく街で』中野サンプラザホールで行っています。
その話はまた次の機会とします。


(りん)
 
★友人のmcさんが今回もダイジェスト版をつくってくださいました。第1部です★
 
 

★続いて、第2部ダイジェスト版です★
 
 

★その他の音源(小さな部屋Vol.7)★
 
 

2017-04-03 02:09:58

コメント(2)

1982年6月30日 武道館への道【17】

会報「Off Course Family 10」の冒頭に、『秋ゆく街でⅢ』について次のように書かれています。

4:30に開場した中野サンプラザは、みるみる人にあふれ、たくさんの立見のひとたちも居て、会場は超満員!!
オフコース・・・ 彼らのうたのすばらしさに確信をもったからこそ始めたオフコースファミリーだけど、年々増えてゆくファンには、やっぱりとまどってしまい、そんな外的状況の中にいる本人、オフコースは、少しも変わらない。
その口からとび出す冗談も、いろんなひとへの想いやりも・・・。
それでも、それなのに、遠ざかってゆくひと ふたぁり・・・に見えてしまう。


また、1976年12月17日(金)に東京音協が渋谷公会堂で開いた「おんきょう・フォーク・コンサート №63」のMCで小田さんは次のように語っています。

「眠れぬ夜」のおかげで僕たちは、地方へ行ってもオフコースという名前をみんな覚えてくれるようになって
要するにちょっとだけ今年は人気が出たりなんかして
レコードも売れるようになってね
そうすると、なんかこう「最近のオフコースは冷たくなった」とかね
「私はキャッキャいう女の子と一緒にオフコースを見たくないから、もう私は小田さんとは縁を切ります」とかね
そういうきついことを言われたりもしましたけれども
それなりに僕たちもいろいろ悩みまして
来年はそういう人たちも帰ってきてくれるようにがんばっていこうと思っているわけですけれども
なかなか 僕はそうじゃなくても「生意気だ」とか「あいつつっぱってる」とか見られるタイプなので
ちょっと売れたりしたらもう大変なことになりそうなんで、売れるのはやめておこうか・・・とは思わないんですけど(笑)



『秋ゆく街でⅢ』に続き、あちこちの学園祭に出演したことでオフコースの知名度は上がり、人気も急上昇しはじめた時期でした。
古くから応援していたファンは、「何事?」と眉をひそめ、新たにファンとなった人たちはコンサートで「小田さーん!」と叫ぶようになっていきました。
ずっとオフコースを見守り、一番近くで応援してきたオフコースファミリーのスタッフですら遠ざかっていくオフコースに戸惑い、当の小田さんたちもそういう声をひしひしと感じていたことが伝わってきます。

この頃から、コンサートで清水さん、松尾さんたちがバックコーラスを担当するようになってきました。
このことについて小田さんは「実験的につけているわけで、もし評判がよくなければ考える」と語っていますが、評判が悪いわけはなく、コーラスが厚くなりサウンドもどんどんポップになっていき、どこの会場もお客さんがいっぱいになりました。

この渋谷公会堂のセットリストの中に「Graduation Day」という曲が登場します。
清水さん、松尾さんをフィーチャーし、オフコースのコーラスの美しさを印象づけるものでした。
ラジオの公開録音などでもよく放送されたのでお聴きになった方も多いことと思います。

完璧なコピーを目標にスタートしたオフコースでしたが、アルバム『ワインの匂い』以降はオリジナルの人気曲(まだヒットとまではいかないまでも人気のある曲という位置づけ)を得、そこに昔からのレパートリーを交えて「楽しめるコンサート」へと進化していきました。
そんなコンサートに行った人は、「また行きたい!」と思うようになり、だんだんオフコースのチケットは入手しづらくなり始めました

では、この頃(1976年暮れ~1977年前半)のセットリストをいくつか紹介しておきましょう。


《おんきょう・フォーク・コンサート №63“オフ・コース”》 (1976.12.17 渋谷公会堂)

   

 01 めぐる季節
 02 眠れぬ夜
 03 ピロートーク
 04 ワインの匂い
 05 雨よ激しく
 06 愛の唄
 07 Without You
 08 Leaving On A Jet Plane
 09 Graduation Day
 10 こころは気紛れ
 11 恋はさりげなく
 12 メンバー紹介
 13 老人のつぶやき
 14 青春
 15 冬が来る前に
 16 歌を捧げて
 17 Run Away
【アンコール】
 18 のがすなチャンスを




《'77ニューイヤー・コンサート》 (1977.1.17 九段会館ホール)

   

  01 めぐる季節
  02 眠れぬ夜
  03 ピロートーク
  04 ワインの匂い
  05 雨よ激しく
  06 こころは気紛れ
  07 Graduation Day
  08 メンバー紹介
  09 老人のつぶやき
  10 青春
  11 歌を捧げて
  12 Run Away
【アンコール】
  13 のがすなチャンスを




《オフコース・コンサート》 (1977.1.30 長岡市民会館)

 01 眠れぬ夜
 02 めぐる季節
 03 ピロートーク
 04 ワインの匂い
 05 恋はさりげなく
 06 こころは気紛れ
 07 Run Away
 08 Graduation Day
 09 メンバー紹介
 10 老人のつぶやき
 11 雨よ激しく
 12 青春
 13 ひとりで生きてゆければ
 14 歌を捧げて
【アンコール】
 15 のがすなチャンスを                    
 16 眠れぬ夜




《オフコース・コンサート》 (1977.4.12 名古屋市民会館中ホール)

 01 Run Away
 02 めぐる季節
 03 水曜日の午後
 04 別れの情景(1)
 05 雨よ激しく
 06 あなたがいれば
 07 僕の贈りもの
 08 でももう花はいらない
 09 Day By Day
 10 メンバー紹介
 11 愛の唄 (I'll Be Coming Home)
 12 恋はさりげなく
 13 幻想
 14 老人のつぶやき
 15 こころは気紛れ
 16 青春
 17 ひとりで生きてゆければ
 18 歌を捧げて
【アンコール】
 19 眠れぬ夜
【アンコール2】
 20 ワインの匂い
 21 Run Away



1976年から77年にかけてのコンサートは「めぐる季節」「眠れぬ夜」といった聞き慣れた曲が出だしに置かれ、新旧の楽曲を緩急つけながら配置し、中盤では洋楽のコーラス曲(「Graduation Day」、「Day By Day」)をメンバー紹介と絡めて披露し、「歌を捧げて」を本編の着地点とし、その後、アンコール「のがすなチャンスを」、「眠れぬ夜」などを演奏する構成になっていました。

オフコースの持つ多様性をうまく引き出したセットリストになっています。
爆発的なヒットはないものの、オフコースの人気は次第に高まり、コンサートはいつも満員となりました。
この頃、チケットは電話予約になっていましたが、4月の名古屋のコンサートは1時間近く電話をし続けないとつながらない、という状態でした。

その名古屋のコンサートで、小田さんは、
「お客さんがいっぱい入ってくれることに慣れてしまうのは非常にこわくて、もっともっと努力しなくては、と日々思ってます」
と話していました。

売れてきてもどことなくアマチュア的な雰囲気と謙虚さを失わないオフコース
新しくファンになった人たちもそんな彼らを積極的に応援するようになっていきました。


【余談】
そういえば、この頃、カーペンターズのリチャードがオフコースの「愛の唄」に興味を持ち、レコーディングの候補曲になったという話がありました。
そのため、「愛の唄」は、英訳されて「I'll Be Coming Home」というタイトルの曲でリチャードの元に送られました。
名古屋のコンサートでは、最後のサビの部分を英語で歌っていました。
しかし、その後、その話は立ち消えになってしまったようで実現には至りませんでした。
後に、小田さんがリチャードに会った際に真偽を訊ねたところ、「たしかにオフコースの曲を候補に挙げていたことがある」と語ったそうです。(もちろん英語で…w)
ファンとしては、世界のカーペンターズオフコースの歌を採用してくれることを熱望していたのですが、残念でした。
でも、そんな話が持ち上がるのもオフコースがメジャーになってきていたことの証のひとつといえるでしょう。


(りん)
 
 

★ちょっと時期が異なりますがオフコースがステージで披露した「コーラス集」です★

 
 
コーラスで客席を沸かせた雰囲気が伝わることと思います。

2017-03-31 12:31:00

コメント(0)

1982年6月30日 武道館への道【16】


  やりたいことをやるのさ
  何故それが悪いのかい
  俺達若者だけに 今
  出来ることがあるのさ

    夢 夢があるから若い
  この青春という名の夢が

 間違うことがこわくて
 それで何が出来るのかい
 泥にまみれることが
 美しい俺達さ



これは、かぐや姫が1971年にシングルとして発表した「青春」という歌の歌詞です。
メロディーが頭の中に自然に浮かんでくる人も少なくないことでしょう。
かぐや姫はコンサートでよくこの歌を唄っていました。


 さようなら若者
 知らず知らずのうちに君は
 いくつもの季節をすごし
 いくつかの夢もかなわず
 この住みなれた街に
 青春をきざんで出てゆく

 さようなら若者
 めぐりあった人とのふれあいに
 喜びは孤独を忘れさせ
 悔しさに涙をこらえ
 この住みなれた街に
 思い出を残して出てゆく

  ふるさとを捨てて来たように
  この街も捨ててゆくのか

 夢多きときよ さようなら
 生きる道に夢はひとつでいい
 一つの夢が君の道を教える

  ふるさとを捨てて来たように
  夢をかなえに大人へ巣立ってゆく

 さようなら 若者よ さようなら
 さようなら 青春よ さようなら



こちらは、第1回目の『秋ゆく街で』で新曲として発表された鈴木さん「青春」の歌詞です。
かぐや姫の歌詞と比べて落ち着いた雰囲気が漂っています。
かぐや姫の場合は、青春を謳歌しようとしているのに対し、鈴木さんの詩は青春への訣別を歌っているからでしょう。
鈴木さんがこの詩の原型を書いたのは1974年
まだ四捨五入して30才が見えたばかりの頃ですが、「夢多きとき=青春」にさようならをして、一つの夢をかなえるために生きるのが「大人」であると考えていたようです。

もう一つ青春にからむ詩を見てみましょう。


 君にも 愛にも 疲れてしまい
 とおり過ぎた 若き日を知る
 青春は たそがれて
 夢はひそかに 別れを告げる

  あゝ ありふれた 倖せに
  背を向けてゆく 勇気がほしい
  声をはりあげ 泣いてみるのも いいさ
  この街を 今歩いて

 やがて友は 消えてゆくだろう
 あの日の語らいも しらけてみえる
 東京は たそがれて
 ほんの少しだけ やさしくみえる

  ひとりこのまま 生きてゆくなら
  色あせてゆく この青春に
  しがみついては ゆかないだろう
  ひとりで生きてゆければ

  あゝ ありふれた 倖せに
  背を向けてゆく 勇気がほしい
  声をはりあげ 泣いてみるのも いいさ
  この街を 今はなれて

  立ちどまる このひとときも
  友はまたひとり 消えてゆくだろう



こちらは小田さん「ひとりで生きてゆければ」の歌詞です。
1976年5月5日にリリースされています。
この年、小田さんは29才になります。
いよいよ30才が見えてきて、「青春にしがみついてはゆかないだろう」とこちらも青春への訣別をテーマとしています。
鈴木さんが結婚したことももしかしたら影響しているのかもしれません。
でも自分は「ありふれた倖せに背を向けて、ひとりで生きてゆければいい」と。

ちなみにこの曲のレコーディングから大間ジローさんが参加しています。

いよいよ青春に別れを告げようというこの時期にオフコースは大きな転換期を迎えることになります。
そう、ジローさんに続いて、清水仁さんが「小さな部屋VOL.6」から演奏に参加し、『秋ゆく街でⅢ』からは松尾一彦さんも参加することになったのです。
つまり、5人のオフコースがスタートしたのは1976年ということになります。(3人はまだバックバンド的存在ではありましたが・・・)

小田さんはこの頃のことについてこう述べています。

「この辺で五人が揃うけど、バンドになったことでオフコースに可能性が出てきた。
たとえそれが一とか二って数字だとしてもね。
松尾は確かレコード配送センターかなんかでバイトしててさ、最初はバイト休みの時だけオフコースに参加してた。
みんな給料は、確か七万とかじゃなかったかな。
それでどうだって松尾に言ったらさ、配送センターより多いって(笑)。」


実は、この年の8月1日にオフコース・カンパニーが設立されています。
自分たちの会社を作ることで、学園祭やCM、ツアーなどが行われるようになっていったのです。
3人のミュージシャンが集まってきた背景にはオフコースを取り巻く環境が変わってきたためだったともいえるでしょう。

学園祭といえば、この年、オフコースは11校で学園祭ライブを行いスポーツ新聞などで話題となりました。
学園祭ライブは、『秋ゆく街でⅢ』の翌日の10月24日から始まりました。

●10/24 聖心女子大学・・・ハイファイセット等と一緒に学園祭ライブ・スタート!
●10/30 聖光学院・・・小田さん・鈴木さんの母校でのステージ。今でも小田さんは時々母校のステージに立っています。
●10/30 青山学院短大・・・聖光学院から移動してのステージ。会場に入りきれないほどの大人気でした。
●11/1  立教女学院・・・またハイファイセットと一緒のステージ。サインを求めて走り回るファンも出てきてちょっと顰蹙を買っていました。
●11/3  鶴見大学・・・総持寺というお寺の中にある大学でのライブ。
●11/5  お茶の水女子大学・・・イルカさんと一緒のステージ。お茶をいっぱい飲んだとか・・・w
●11/7  大妻女子大学・・・お昼に出された豪華な幕の内弁当に感激・・・だったそうです。
●11/13 共立薬科大学・・・読売ホールでのライブでした。
●11/21 白百合女子大学・・・学園祭ライブ初のアンコールをもらった記念すべきステージ。
●11/23 東京女子短期大学・・・女子人気はますます盛り上がります。
●12/1 上智大学・・・神田共立講堂でのステージ。学園祭ライブをしめくくりました。

二人だけのステージの時は、「お通夜のような・・・」と形容されたオフコースでしたが、若い3人が加わって、バンドとしての躍動感のあるライブは女子大生を中心にファンを増やしていきました。
その原点となったのが、『秋ゆく街でⅢ』でした。

このリサイタルのセットリストを確認しておきましょう。

《オフコースリサイタル“秋ゆく街でⅢ”》 (1976.10.23 中野サンプラザホール)

 


このセットリストは、小田さん自筆のものです。
所々に書き込みがありますが、これまでのステージと大きく異なる点としては、MCの原稿が用意されていたことでした。
小田さん、鈴木さんの二人のステージの時は、その場になって「何も話すことがない・・・」などとつぶやいたりしていましたが、このリサイタルではちゃんと話すことが用意されていて、客席を盛り上げながら演奏に入っていくようになりました。
私は幸運なことにこの時、一列目の右よりの席でこのステージを見ることができました(ちょうど鈴木さんの正面ぐらいの位置でした)。
オフコースの変化を目の当たりにすることができたと思っています。

コンサートは、照明を落としたステージに5人が登場し、アカペラで「さわやかな朝を迎えるために」からスタートしました。

小田さんのセットリストと実際との異なる点は・・・
第1部の11曲目の「別れの情景Ⅰ、Ⅱ」とあるのが、実際には「別れの情景Ⅱ~もう歌は作れない」だけだったこと。
第2部の6番目の「テープ 16mmFilm」のあと、「でももう花ははいらない(前奏曲あり)」、「無題 (あなたがいれば)」が歌われていること。
「アンコール予定」の2曲(実際にはアンコールが来なくてそのまま歌われました)のあと、「本当のアンコール」があって、「Run Away」が歌われたこと。
そういったところが微妙に異なりますが、基本的に「シナリオ通り」に進められたコンサートでした。

小田さん、鈴木さん、そして、清水さん、松尾さん、ジローさんの5人で作り上げた初のリサイタル。
バックコーラスには、BUZZの二人とラジさんが参加し、パーカッションにアリスのキンちゃん(矢沢透さん)、そして弦をトマト・ストリングスカルテットが演奏しました。
このあと、名古屋、北海道、大阪など各地で「秋ゆく街でⅢ」と同じ構成のコンサートを行いますが、それらはもちろんバックコーラスや弦はついていません。
でも、当初の予定通り5人のバンドサウンドがあれば、レコードに近い演奏ができるという利点を活かしてこれまでとは違う展開を行っていくことになります。

ところで、このコンサートは2部構成で、第1部ではアルバム『ワインの匂い』から8曲とそれ以前の曲、そして最後に新曲(あなたがいれば)を演奏しました。
第2部は、まだ発売前だった『Song is Love』の全12曲中11曲を披露しています。
さて、そこで問題です(笑)。

【問】アルバム『Song is Love』の楽曲のうち、『秋ゆく街でⅢ』で演奏されなかったのはどれでしょう?

 ア 夢
 イ いつもふたり
 ウ ひとりよがり
 エ 失恋のすすめ
 オ あいつの残したものは



ファンの皆さんなら正解を発表するまでもないですよね。
アルバムの中でも1分38秒しかないこの曲は異色な存在で、どういう意図でこの曲を作ったのかよくわかりませんが、鈴木さんのお遊び的な曲だったのかもしれません(一応、正解は“ウ”の「ひとりよがり」です)
こういう曲があるからこそオフコースのアルバムは充実していたように思います。
小田さんだけ、鈴木さんだけのソロアルバムも味わい深いものがありますが、二人の個性が混ざり合うことでより大きな魅力を生み出していたと感じられる方も多いと思います。

ところで、『秋ゆく街でⅢ』パンフレットの最後の見開きページに『Song is Love』の広告が掲載されています。
とはいえ、単なる広告ではなくオフコースの二人からの熱いメッセージが記されています。
なかなか紹介する機会がないので、再録してみたいと思います。

     

苦しみの中で青春後期に挑戦していくK君と、
何万人ものほかの“K君”に捧げる。11月5日。


私達の友人にKというコピーライターがいる。
頭が良くて仕事はオールラウンド。
あまりにテキパキできすぎるので、上役や同僚は「あいつは要領がいい」と噂した。
要領を使ってズルをする証拠も形跡もないのだが、そういうけなし方しかできなかったのかもしれない。
ある日、会議中に突然顔面を抑えて、激しく吐いた。
一週間の休養の後に、彼は「子供が怪我をして休みました」と言い訳して仕事に戻った。
彼は中学の時、友人とふざけていて鼻の骨を激しく打ち、以後原因不明の偏頭痛に悩んでいた。
ひとことも他人には言っていない。
両親にも、妻にも。
その鼻の異常が突発的に彼を襲ったわけだが、それをも隠した。
「他人に、自分の弱点を知らせるべきではない」という、意固地なほどに古風な信念から。
鎮痛剤を常にポケットに持ち、彼は仕事量で一般社員の倍はやっていた。
しかし、家に帰ると毎日一時間は資料を作ったり、カセットで外国語を練習、源氏物語の解釈を勉強した。
まるで大学受験生だが「俺は人より要領が悪いから、このぐらいやらないと勝てない」と信じていた。
彼が語学にも堪能であるために会社の人間は、彼の成績を英語と要領のせいにし、ヤッカミ半分にウサを晴らしたものだ。
当然、彼はオーバーワークになり、内臓疾患にもかかっていたが、それをも隠して、相変わらず「要領のいい、スマートすぎる男」として、将来を期待はされながら、冷たい視線の中で仕事をしていた。
「俺が敬服している上役すら心からうちとけてくれないのはとても寂しい。しかし自分から弁解したり、努力を打ち明けたりするなんて、とても恥ずべき行為だと思う。いつかはわかってもらえるさ」と、親友である私達に語ったことがある。
その時「ヤツも我々に話さずにはいられなかったんだな。ヤツにも甘い所はあった。完全には“武士道”は全うできなかったんだ」という安堵感を、しみじみと味わったものである。
2年以上前になる。
彼から一通の葉書が届いた。
「独立しました。今後ともよろしく・・・・・」
工場廃液のタレ流しで新聞を賑わしたことのある某化学会社の仕事が来て、彼はスタッフの一員に選ばれた。
早速、無理を承知で、転属を願い出た。
会社は彼を繋ぎとめるために年俸40%アップを条件に、彼の希望を退けた。
辞表。
「金のために良心は売り渡せません。」
なんて要領の悪い男なんだと思う。
そんな所が私達は好きなのだが。
たまに会うと「女房ひとりに子供が2人、まあ、なんとか食っているよ」と物静かに笑っているK。
私達の新しいアルバムを、苦しみの中で青春後期に挑戦していくK君と、何万人ものほかの“K君”---同じタイプの昭和の武士---に、捧げる。

オフコース     


残業時間が長いと“ブラック企業”と自分の会社を平気で批判する今の若い人たちには“K君”の生き方は理解しがたいことでしょう。
愚直なまでに自分の生き方にこだわるところは、企業人のK君も私達(=オフコース)も同じだというのがこの文章の主題であると思います。

自分たちのやり方、自分たちの音楽にこだわりながら活動を続けてきたオフコース。
1976年は彼らの真の出発点であったといえるのかもしれません。

それから40年。
そんな要領の悪い生き方を貫いてきたメンバーやスタッフが、今も活躍している姿をまぶしく、うれしく感じています。
“昭和の武士”たちは今、「働き方改革」をどう思っているのでしょう。


(りん)
 
★友人のmcさんがこのリサイタルのダイジェスト版を作ってくださいました。「第1部」★
 

 
★同じく「第2部」★
   


★当日の音源1★
 


★当日の音源2★



★冬が来るまえに★
 

2017-03-30 03:24:15

コメント(0)

【私だけが知っている?】(第7回)

やっと、(第7回)なのである・・・

昨今、『私だけが知っている?』というタイトルでブログなんか書くんじゃなかったと激しく後悔していた。
自分が、『これっ!』と思ったテーマは、既にどなたかが書かれていたりして、とてもじゃないけど『私だけが知っていますわよ、オホホホ』といったような小さな優越感にも浸れない…
で、またブログのテーマを再考する…
といった繰り返しの日々を送る中、ただ時間だけが過ぎていく…
という負のスパイラルに陥ってしまったのである。

今回のテーマも、渾身のテーマとは言えないかもしれないが、前回からあまりにも時期が空いてしまったので、リハビリを兼ねて…
と重い腰を上げてみることにした。

【今、巷で上映されているフィルムとまったく同じものが500円も安く見られるチャンス!他では絶対見られません。(音楽・映像などはプロがやるので完全保証つき!)】
…何やら怪しげなガリ板刷りのチラシに踊る何とも言えないセールストーク
…その傍らには、’82年11月23日付の『1982.6.30』フィルムコンサートの半券…

『1982.6.30』フィルムコンサートのパンフレットの巻末に上映スケジュールがあると記憶していたので、そちらを紐解いてみても、該当する11月23日には、東北地区では大館市文化会館で、近畿地区では洲本市民会館で、宮崎地区では都城市民会館でと全国3か所での上映予定が入っているが、そのどちらの会場の半券でもなく…
前売料金は、セールストークに偽りなく、同時期の他の会場と違い『800円』との記載が…

そろそろこの辺で種明かしをすると、この半券は、立正大学熊谷校舎106教室を会場とした「1982.6.30」のフィルムコンサートの半券なのである。
確かに、フィルムコンサートのパンフレットにも、【※このスケジュールの他に各地で上映が予定されています。】との記述があるものの、学園祭(熊谷祭)の一教室で、しかも市販されていないフィルムの有料上映会が行われていたなんて…
10:00と12:30と15:00の3回上映だったようで、この半券は2回目の12:30の回のもの。

       

人生XX年、まだまだ知らなかった事実があるものだなぁ~と実感させられた今日この頃…
重箱の隅をつつくべく、またしばしブログのテーマ探しの旅へ…



text by 村田 和正

2017-03-15 01:41:02

コメント(0)

1982年6月30日 武道館への道【15】

1975年12月20日
オフコースは3枚目のオリジナルアルバム『ワインの匂い』をリリースしました。
1991年に発行された『月刊カドカワ6月号』で、小田さん自身、このアルバムについてこう語っています。

このアルバムから、ディレクターが武藤(敏史)君になった。
このアルバムは時間かけて頑張って作ったのでよく覚えてる。
彼とやるようになってレコーディングが変わったから。
その意味では、彼との出会いはすごく大事だね。
前の人は歌謡界的でさ、一日二曲とかのノルマを持ってて、絶対最初の予算内でやろうとする。
俺らが「ここにこの音入れたいんだけど」とか言っても、「そんなの関係ないよ」とか言われた。
でも武藤君はさ、「今日、乗らないから明日にしようよ」みたいに、じっくり音を作らせてくれた。
その当時、サディスティック・ミカ・バンドの作ったスタジオ使用時間の記録があったんだ。
『ワインの匂い』はそれを抜いた(笑)。
今思うと大した時間じゃないよ。
でもそれで話題になって、またレコード会社内では「オフコースはとんでもない奴らだって」。
敵が多かったんだ。
でも、ファンの人には気に入ってもらえたんじゃないかな。



ちょっと長い引用になってしまいましたが(実際にはこの後、まだ少しエピソードが続いています)、レコード会社における当時のオフコースのポジションみたいなものがわかってもらえる話ではないでしょうか。

そして、『ワインの匂い』は、それまでオリコン100位に入ったことがなかったオフコースとしては62位という快挙を打ち立て、シングルカットされた「眠れぬ夜」は、最高で48位を記録しました。

1976年は、1月にイルカとの「年賀状コンサート」を日本青年館で行っていますが、この時、『ワインの匂い』から8曲を披露しています。
そして、このコンサートのMCで、鈴木さん「2月ぐらいに結納をして、4月ぐらいに結婚を…」という報告をしています。
また、小田さん「2月14日に修士論文の発表がある」という話をしています。

二人にとって「転機」となったこの年。
オフコースとしてもこれまでとは違った展開が待っていました。

まず、2月26日から29日にかけてのレコーディング(「ひとりで生きてゆければ」、「あいつの残したものは」)にのちに正式メンバーとなる大間ジローさんが参加しました。
ジローさんは、ザ・ジャネットというバンドでドラムスを担当していましたが、75年12月のコンサートを最後に解散しました。
同じバンドのメンバーには松尾一彦さんもいました。
二人(ザ・ジャネット)を育ててきたのがオフコースのプロデューサーになった武藤さんだったという縁で、まずジローさんがレコーディングに参加しました(次のシングル「めぐる季節」には松尾さんがハーモニカで参加することになります)。

3月にはNSPとのコンサート、5月にはハイファイセットとのコンサートを行っています。
ハイファイセットとのジョイントのために小田さんが書いた曲が「歌を捧げて」でした。
1曲目と最後に歌われています。
この時期、次の『SONG IS LOVE』に入る「ひとりで生きてゆければ」、「青春」、「青空と人生と」、「歌を捧げて」などがステージで披露されていました。

また、同じ5月にTVK(テレビ神奈川)ハイファイセットとのスタジオライブが放送されています(テレビ出演!)。
演奏されたオフコースのオリジナル曲は、「眠れぬ夜」、「水曜日の午後」、「ひとりで生きてゆければ」の3曲でした。
まだ家庭用のビデオもない時代でしたので録画した人はいないと思いますが、TVKの倉庫かどこかに映像が残っていないか気になるところです。

そして、5月23日に半年ぶりの「小さな部屋」が開かれました。
今回は、この6回目の「小さな部屋」のセットリストを紹介します。
テーマは、「音楽の多様性その1・音楽はいかに映像を助けるか、また映像はいかに音楽を助けるか」というちょっと長いものになっています。
なんだか、修士論文のサブタイトルみたいな感じがしますが、興味深いテーマですよね。
そして、このコンサートのバックバンドとして、清水仁さんがベース、大間ジローさんがドラムスで参加しています。
記念すべきコンサートだったともいえるでしょう。

       

《オフコースの小さな部屋 VOL.6》 (1976.5.23 日本青年館)
テーマ:音楽の多様性その1・音楽はいかに映像を助けるか、また映像はいかに音楽を助けるか

01 新しい門出(フィルムあり)
02 小さな部屋
03 水曜日の午後
04 愛の唄
05 明治ブルガリアCMソング(フィルムあり)
06 The Look of Love
07 Moon River

※ゲスト:加藤和彦
08 Somewhere
09 夕陽は赤く
10 5分間フィルム(オリジナル4曲&小田新曲)~若き日に(鈴木作品)
11 「オフコースの、オフコースによる、オフコースのためのCM」(フィルムあり)
12 老人のつぶやき(フィルムあり)
13 憂き世に(フィルムあり)
14 のがすなチャンスを
15 幻想
16 青空と人生と
17 眠れぬ夜
18 でももう花はいらない
19 青春
20 ひとりで生きてゆければ(フィルムあり)




この日のコンサートのためにいろいろ趣向を凝らしたフィルムが用意されました。
単に曲目を並べただけではテーマとの関連性が全然分からないので、映像関係の部分をオフコースファミリーの会報から何カ所か抜粋してみたいと思います。(以下、引用部分は青字で表示します)


幕が上がりはじめると、なんとはじめからバックスクリーンには16ミリフィルムの映像が・・・。

★新しい門出Film
 黄色のワーゲンに小田さん、鈴木さんふたりが乗り、走る姿を前から追います。
 高速道路を車は曲にのり気持ちよく。
 まだ夜明けの暗い中からまわりは次第に白けてゆき 昇る朝陽・・・。
 高層ビルからその上の大空。
 ふたりの表情、明るく、車は赤坂~青山へ・・・ そして、日本青年館へ。
 ドアを開けて、降りるふたり・・・ 曲はラストの盛り上がり・・・!!

なんてシャレたオープニングでしょう。思わず息をのんでしまいます。


・・・と、このように映像を文章で伝えてくれています。
当日、コンサートに行けなかった人にも伝わるような表現ですよね。


ゲストの加藤和彦さんからお料理講座、映画や映画音楽のお話をしていただいたあと「Somewhere」、「夕陽は赤く」を演奏し、次のフィルムが上映されます。こちらも会報から引用させてもらいます。


創造力タクマシイ彼らの考え出したこと。
オフコースのつくった5分間の音に、木暮氏(オフコースの高校時代の友人であり、現在[当時]は、グラフィックデザイナー)のつくった5分間のフィルムの組み合わせ。
音は、「でももう花はいらない」「What's goin' on」「別れの情景」「ほんの少しの間だけ」が、数小節ずつ次々に流れます。
そして、小田さん、鈴木さんの雑談・・・・
しずかにギターの音が入ってくると、小田さんの新曲。やさしい曲。ひき語りです。
そして変わって鈴木さんの新曲。これは、スタジオで練習している風景から。
曲の途中で終わると、フィルムも消え、ステージでは鈴木さんのカウント・・・
同じ鈴木さんの新曲「若き日に」を生で演奏。(なかなかヨカッタ。)

★5分間Film
 スタジオでの練習風景が主。真剣な表情、笑い顔
 唄う姿、ギター弾く手・・・・・・。
 途中、アップのコーヒーカップから映された“喫茶店にて”では
 小田さん、鈴木さんが、討論している様子が。

次に、演奏は、「ワインの匂い」へと。


2本目はこういうフィルムでした。続けましょう。


さて、次は、今回、いちばんの拍手を得たともいえるフィルムの登場です。
「オフコースがつくった、オフコースのための、オフコースのCM」
いつも、いつも、他人のためにCMソングを唄っているふたりが、今日は自分たちのためにつくり、唄うというのです。大笑い。

♪買い物上手な(あなたが-) 買い物上手な(あなたがー)
 今 いちばん欲しいものは、今 いちばん欲しいのはーー♪ こんなうたにのり・・・

★オフコースのCF
 ピーコックの紙袋をかかえた男性ふたり(もちろん鈴木さんと小田さん出演。)が、笑いながら楽しそうに青山通りを歩きます。
そして、家についてテーブルの上に今日の買いものの品々を並べると・・・
ポテトスティック、ソフティ、ブルガリアヨーグルト、エッセンシャルシャンプー・・・
この時、バックに恐そうな声・・・“あなたが今求めているのは、こんなものではない筈です。”
そして出ました、LP「ワインの匂い」を持つふたりの大アップの姿。   大爆笑!バカウケ!



買いものの品々がオフコースが唄っていたCMソングの商品ばかりというのも面白いですよね。
そして、次なる映像は・・・


次の実験は、今回のテーマにもっとも即した方法。
曲なしの映像、そして曲をつけた同じ映像、
映像なしの曲、曲をつけた同じ映像。
選ばれたのは、前者に「老人のつぶやき」、後者に「憂き世に」

★老人のつぶやきFilm
 一羽のかもめがとびます。大空を。羽根を広げてゆうゆうと・・・
 そして、仲間のもとへ、海へ、波間へ。
 静かな海に、船が近づいては、消えてゆき、
 青い水面には船の姿がゆれてうつります。
 そんな海を見降して、かもめは遠く、とんでゆきます。

★憂き世にFilm
 ゆるーく 揺れる 緑の木
 その下の公園で子供たちが遊びます。
 一緒になってボールを蹴っているのは鈴木さん、そして奥サマの裕子さん。
 一面緑の草の上で、ころがり、笑って、子供はふざけます。
 あい間をぬって、カメラが向けられたまわりの花は、たんぽぽにあざみ。
 そして、大きく揺れる木が平和そうに・・・。

こんな風にして聞いた2曲は、今までになく印象的。
自分のイメージと合わなかったひとも居たとは思うけど、私には、素晴らしい2曲でした。



会報の筆者の感想も交えた紹介となっていますが、その説明から音楽に合わせて映像シーンが頭の中に浮かんできます。
1980年代に入るとミュージシャンのプロモーションビデオが一般化していきますが、1976年という時期にこういう実験をしていたというのは画期的なことだったといえるのではないでしょうか。
小田さんは後期オフコースで「夏の日」や「緑の日々」でストーリー性を重視したPVを作成しますが、その延長線上に映画『いつか どこかで』を制作したといえるでしょう。

では、終盤のフィルムについてみておきましょう。

★ひとりで生きてゆければFilm
 イントロの中、小田さんが人ごみにまぎれて歩きます。
 そして次に 長嶋選手の写真。引退試合の時の表情がさみしく、力強く・・・。
 女のひとの表情から、小田さんが女のひとと歩く姿。
 そんなあいまに、窓辺に置かれた鉢植えや、湯気の出るポット・・・
 駅前の雑踏に、人々は無表情。
 ラストはまた、小田さん ひとりになって歩きます。
 人ごみを、そして橋の上、沈む陽にむかい、後ろ姿が、とっても印象的。

幕が、静かにおりました。



とってもステキなコンサートだったことが少しでも伝わったでしょうか?
音楽のことだけでも伝えるのがなかなか難しいのに、映像のことも説明して伝えるのは容易なことではありません。
オフコースファミリーの会報のおかげで当日の様子を想像することができます。

なお、映像のロケ地についても会報に詳しく掲載されていたので、順を追って紹介しておきます。
時間と興味のある人は、「聖地巡礼」を楽しんでみてはいかがでしょう?

◆「オフコースの小さな部屋VOL.6」のためのロケ地めぐり

●ロケ日:1976年5月13日
・3:30AM 羽田空港集合
・羽田~銀座~赤坂~青山~日本青年館、と車を走らせて様子を撮影。
 *黄色のワーゲンは、木暮氏のもの。前を走りカメラで撮影してたのは小田家のライトエース。
・8:00AM ひとまず解散

・1:00PM サブ(ミュージック事務所)に集合。
・青山通りロケ
・オフコースCF用と、「ひとりで生きてゆければ」用の撮影。
・ピーコックで買い物(CF用)。
・「ひとりでーーー」のラストを撮りに、(青山)墓地の近くの橋へ行くが、日没を過ぎても夕陽にならず、1時間以上待つ。
・6:30PM 木暮氏の友人宅で買い物の品々をテーブルの上に並べるシーンの撮影。
・12:00PM 終了

●ロケ日:5月16日
・6:00AM 横浜石川町駅集合
・根岸にあるもと競馬場の公園で撮影(子供たち、鈴木さん夫妻のシーンなど)
 *この公園はファーストアルバムのジャケットを撮影した場所
・11:30AM 山手のドルフィンへ行く
 *食事しがてら撮影に・・・と思っていたが、撮影禁止と断られた。・・・が、無断で撮影(笑)
・1:00PM 元町の“友&愛”(小田家のお店、紅茶屋さん。現在は金沢文庫の小田薬局2階にあります)で撮影。
 *レンガの壁を雑巾で濡らして雰囲気を出したが、この場面は没になったらしい。
・2:00PM 解散


んー、聖地巡礼というような回り方は困難かもしれませんね(笑)


(りん)
 

★当日のダイジェスト版をmcさんが作ってくださいました。よかったらご覧ください。★


 
CF部分などはあくまでもイメージです。当日のものとは無関係とお考えください。
 
 
 
★他にこんな音源もありました★


 
 

追記)
当時、オフコースファミリーと深く関わり、コンサートのお手伝いをされた経験のある方からこんなコメントをいただきました。

マルチメディアのさきがけのコンサートでした。
「新しい門出」とともに映し出された黄色いVWを思い出します。
まずかもめの映像だけを流し、次にその映像をバックに「老人のつぶやき」を演奏する実験でしたね。
それがあとの「東京の夜景」や「ひまわり」へと発展。
特にあのかもめの映像は、そのあと何度も使われましたね。 
田コロでのライブのチケットにもかもめの飛ぶ姿がありました。


貴重な証言でした。

2017-03-12 15:23:38

コメント(4)

1982年6月30日 武道館への道【14】


夏の暑い盛りに始めた、レコーディング。
ていねいに作ろうという気構えだったことは確かだが、これ程長くかかろうとは思ってもいなかった。
間に、リサイタルが入ってきたこともあったが、この三ヶ月、まるで昼と夜が逆で、家には寝に帰るだけのような。
音楽のことだけしか頭になかったが。 今、満足感と、虚脱感と、うれてほしいという期待と、これからのステージをより充実させてゆこうという意欲と、複雑である。   
鈴木康博


夏を迎える前から始まったレコーディングは、十一月に入って漸く終った。
一枚目のLPの時も感激したけれど、今度は、それを上まわる充実感に浸れた。
それは、ただ長時間に渡ったということだけでなく、一曲、一曲の中に、迷いとか、諦めとか、皆も知っているように、様々な紆余曲折があり、しかも、途中には、小さな部屋、そして、秋ゆく街で、と、まるで敵に囲まれ乍ら行軍しているようだったから・・・。
レコーディングは、主に、根気と、集中力と、そして体力と、妥協との戦いだった。
すこし毛色の変わった小さな部屋。
合唱の楽しさは、自分でほんとうにうたってみなければね・・・。
今年最後の小さな部屋。
そして、十二月二十日には、レコードをきき乍ら、それぞれの一年を振り返って貰えれば嬉しい・・・。   
小田和正



第5回目の「小さな部屋」に寄せた二人のメッセージの抜粋です。
長期にわたるレコーディングや「秋ゆく街で」のリサイタルを終え、充実感と安堵感に満ちた気持ちが文面に表れているような印象を受けます。

そして、今回の「小さな部屋」のテーマは、「コーラスの世界」
1枚目のアルバムの「ほんの少しの間だけ」や2枚目冒頭の「プロローグ」は、いずれもアカペラ曲でした。
今でこそ、ゴスペラーズRAG FAIR、Little Glee Monsterなど有名なアカペラグループが存在していますが、オフコースは1970年代初頭に16チャンネルのマルチトラッカーを使って多重録音でアカペラ曲を発表していました。
今思えば、画期的な取り組みだったといえるでしょう。

オフコースは、単に三度とか五度とかでハモるのではなく、複雑な組み立て方をしています。
そのルーツは、PPMフィフスディメンションなどのコピーをする過程で、本家よりも人数の少ない二人でいかに本家らしく、いや、それ以上に聞かせることができるか、ということを追求するところにあったのではないでしょうか。
レコードでは、コーラスを多用することによって「オフコースらしさ」を確立していきました。
CMなどでちょっと耳にするだけでも「あ、オフコースだ!」とわかるような曲の組み立てと表現がなされていました。

二人では限界があることを合唱という形で表現しようとしたのがこの時の「小さな部屋」でした。
(もっとも、過去にバズと一緒に男声合唱組曲「人間の歌」の中から「浜の足跡」という曲をラジオやコンサートで披露しています。オフコースの合唱曲志向の強さはそれらの事実からもうかがえます)

さて、それでは、第5回目の「小さな部屋」のセットリストを見てみましょう。


       


《オフコースの小さな部屋 VOL.5》 (1975.11.24 日本青年館)
テーマ:コーラスの世界

01 Aura Lee [聖光学院同級生+小田兵馬氏(小田和正兄)らによる9名の合唱隊]

※オフコース
02 Today
03 少年のように
04 さわやかな朝を迎えるために

※オフコースwithストロベリー
05 のがすなチャンスを
06 ワインの匂い
07 眠れぬ夜
08 昨日への手紙
09 憂き世に
10 別れの情景

*ストロベリーは「ワインの匂い」の演奏を手伝った5人組のバックバンドでしたが、当日は3人が演奏のお手伝いをしてくれました。

※4chトラッカーによる多重録音
11 小さな部屋(ハーモニーを創る実験)

※合唱隊と一緒に
12 遙かな友に
13 G線上のアリア
14 富士山
15 Wade In The Water
16 Jane Jane
17 最上川舟歌
18 愛の唄(合唱隊コーラス)
19 幻想(合唱隊コーラス)

※オフコース
20 小さな部屋
21 僕の贈りもの
22 倖せなんて
23 水曜日の午後
24 青空と人生と
25 青春

【アンコール】(合唱隊と共に)
遙かな友に



合唱隊と一緒にコンサートをやる、というのもオフコースだからできた企画といえるでしょう。
当時のフォークコンサートといえば、トークの面白さや少しくだけたものやメッセージ色の強いものが主流だったので、合唱曲を披露するなんてそれだけでも異色だったといえます。
ただ、そういう試みにちゃんとついて来られるファンたちがオフコースを支えていたともいえます。
ピアノの発表会やバイオリンの演奏会のような雰囲気が初期のオフコースのコンサートにはありました。
会場の大部分を女性(というよりは良家の子女といったタイプの人たち)が占め(しかも親子づれも珍しくなく)「失敗しないでね!」と祈るような気持ちで応援している感じです。
だからそういう発表会をあまり経験していないような男性客(というか一般男子)は、居心地の悪さを感じてオフコースのコンサートにわざわざ来るというようなことはなかったのではないでしょうか。

ちょっとした下ネタで客を湧かす、なんてことは、オフコースのコンサートではあり得なかったのです。
あくまでも親子で楽しめる上品で良質な音楽会という位置づけでした。
もちろん、わざとそうしていたわけではなく、二人の人柄によるところと、「小さな部屋」などの常連だったおよそ1000名のファンが期待するオフコースのコンサートの形であったといえるでしょう。

「オフコースの歌を聴くと賢くなる」というようなモーツァルト信仰に近いものが当時のオフコースにはあったようにも思います。
高学歴で品が良くて、プロっぽくもなく、クラシックのコンサートに行くような安心感がある
---そんなイメージをオフコースは次第に壊していくことになるのですが、少なくとも1975年当時はまだまだファンが期待するオフコース像にある意味縛られていたと言えるでしょう。

こうして1975年は終わっていきました。


(りん)
 

★友人のmcさんがこのコンサートのダイジェスト版を作成してくださいました★
 

★youtubeにあった「小さな部屋Vol.5」の一部★
 

★小さな部屋(ハーモニーを創る実験)★
 

2017-03-09 00:24:31

コメント(2)

  • 件 (全件)
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5