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オフコース in 日本武道館|1982年6月30日そして今

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武道館(1982/06/30)への道

 

 

《1965年》
 
まだオフコースという名前さえなかった時代。
1964年12月、神奈川県の聖光学院高校2年生の生徒たちがのクリスマス・パーティーでバンドの生演奏を行った。
それがきっかけとなって、翌年の文化祭(聖光祭)のステージに立つことを目指した生徒たちがいた。
小田和正、鈴木康博、地主道夫、須藤尊史の4人だった。
 
そして、翌65年11月3日の聖光祭のラ・ムネ・ホールの舞台に4人は立った。
 
当初は、前座的な位置づけで午前中に登場し、「グリーン・スリーブス」や「イエロー・バード」などフォークのヒット曲を演奏し歌ったが、評判となり、閉会式の前にアンコールでステージに立った。
このとき味わった喜びが、その後の小田 • 鈴木 • 地主を本格的な音楽への道へと誘っていった。
 
1965年。
今から半世紀前の秋に彼らは熱い想いを胸にステージに立った。

 
のちに小田和正は歌っている。
 
♪誰のためにでもなく僕等が うたいはじめて
 歌が僕等を離れていったのは ほんの少し前の冬の日
 
誰のためにでもなく歌い始めた1965年の秋から、「歌」が離れていったという1982年に至るオフコースの足取りを綴っていきたいと思う。
 
 
※なお、筆者の記憶違いや情報不足などによって間違いがあれば遠慮なくご指摘ください。



《1966~68年》

 オフコース――正確には Off Course と表記するのが正しい。
 このグループが結成されたのは一九六九年のことだ。
 小田和正、鈴木康博という二人が神奈川県にある聖光学園という中学、高校の一貫教育をしている私立学校で会う。小田は高校を卒業すると東北大学工学部へ進んだ。専攻は建築だ。鈴木は東京工業大学の制御工学科へ進む。この二人は大学へ進学したあともともに音楽から離れず、仙台、東京と地理的に離れていたにもかかわらず折りを見て顔を合わせては練習を積んでいた。この二人に、高校時代からの仲間を加えた三人のグループでヤマハが主催するライト・ミュージック・コンテストに出場した。それが一九六九年の一一月のことだ。

 それまで〈The Off Course〉という名前でアマチュアとしてのコンサートを何度か開いていたが、公けの場に出たのはそれが初めてだった。彼らの身近かに〈Of Course〉という野球チームがあった。それにもう一つ〈f〉をつけて〈Off Course〉としたのに深い理由はない。意味は「もちろん」から「コースを外れて」と変わったが、彼ら自身、オフコースを組むことでコースを外れるとは思ってもいなかった。

 ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストでは全国大会に出場、二位に選ばれた。優勝したのは〈赤い鳥〉というグループである。
山際淳司「Give up  オフコース・ストーリー」より引用 

1965年に初舞台を経験した彼等は、横浜市にある神奈川県立勤労会館や神奈川県立青少年ホールなどで
年に1度のペースでアマチュアコンサートを開催している。
当時のレパートリーはやはり洋楽中心で、PPMやブラザーズ・フォア、ビートルズなどの楽曲が目立つ。
いかに上手くコピーするか、が問われた時代だった。
コンサートで取り上げた主な曲は以下の通り。

A Soalin'、All My Trial、And I Love Her、Blowin'In The Wind、Don'T Think Twice It's All Right
Feed The Birds、For Strong Winds、George Girl、Green Leaves Of Summer、Honey Wind Blows
If I Had A Hammer、One Boy、Somewhere、Somthing Good、Today、Try To Remember
Walk Right In、Yellow Bird

のちに、小田和正が「クリスマスの約束」で披露した「Today」はすでにこの時期に歌われている。

日本の歌は次のような曲が歌われた。

 
七つの子、叱られて、赤い風船、中国地方の子守歌、夕日は赤く

のちの時代でも「里の秋」や「もみじ」などを取り上げているが、アマチュア時代からこうした唱歌を
好んで取り上げていたことがわかる。
なお、「赤い風船」(注)は、当時ヒットしていた曲で、加藤登紀子が歌っていた曲。
浅田美代子の同名の歌ではない。

(注)
1966年に発表された加藤登紀子の2枚目のシングル。作詞:水木かおる、作曲:小林亜星。
   第8回日本レコード大賞・新人賞受賞曲。[Wikipedia「赤い風船」より引用]

また、「雨がやむとき」、「秋から冬」、「風と夢」といったオリジナル曲(小田作品)も披露されている。
今となってはどのような曲だったのか知るすべもないが、タイトルからして小田氏らしい印象を受ける。


東北大学、東京工業大学、横浜市立大学など別々の場所で学生生活を送りながらも高校時代の親友たちと
年に一度のコンサートを着実に行っていた当時の彼等。

やがて1969年を迎え、これまでの活動の集大成として
第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト(LMC)仙台地区予選(仙台西花苑)」に
フォーク部門から出場することになる。



こうして新しい扉が開かれることになるのだった。